決勝戦を勝ちました!32年ぶりの優勝!星稜高校
野球の舞台、明治神宮大会の高校の部が20日に行われた決勝戦で、石川県を代表する星稜高校が32年ぶりに栄冠を手にし、3回目の優勝を達成しました。
この年の高校の部の決勝では、秋の北信越大会での優勝を誇る星稜と、初優勝を目指す関東の作新学院が激突。1991年以来3度目の優勝を目指す星稜と、初の栄冠を手にするために戦う作新学院との対戦が、注目を集めました。
試合の情報
試合は4回、0対0の同点で進行していましたが、星稜の1年生5番・服部航選手が初球を捉え、見事なソロホームランで先制。その後、同点に追いつかれるものの、8回には星稜が連続ヒットで1アウト二塁三塁の好機を迎え、3番のキャプテン、芦硲晃太選手が2点タイムリーヒットで再びリードしました。
星稜のエース、佐宗翼投手は立ち上がりから見事なピッチングで9回117球を投げ、ヒット6本1失点の完投勝利を収めました。星稜は3対1で勝利し、栄冠を手にしました。この優勝は、1991年に巨人やヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんを擁して制した以来、32年ぶりの快挙となります。
優勝により、来年の春の選抜高校野球大会では、北信越地区の出場枠が1つ増加し、総計3校が選出されることになりました。北信越の一般枠は2でしたが、星稜と敦賀気比が高い可能性で選ばれる見込みです。最後の1校は、日本航空石川と北陸が競り合うこととなります。
北陸は福井大会で敦賀気比を下し、決勝で福井商に圧勝して優勝。北信越大会でも2試合とも1点差の接戦を制し、4強進出を果たしました。一方の日本航空石川は石川大会決勝で星稜に敗れましたが、敦賀気比との接戦の末に準優勝。結果的には僅差ですが、実力で上回ると見られることから、選考会が予定されている来年1月26日に最後の1校が選出され、神宮枠獲得校が揃います。
この優勝により、星稜は選抜大会での活躍が期待され、地元を代表して戦う姿勢が注目を集めています。明治神宮大会の舞台で輝く星稜高校の戦績は、地域の誇りとなり、野球ファンにとって感動的な瞬間となりました。32年ぶりの栄冠を手にし、次なる舞台での活躍が期待される星稜高校に対する期待が高まっています。
山下智将監督の戦略と選手の成長
そして、32年ぶりに明治神宮大会制覇してたの星稜高校、山下智将監督(42)は、優勝の瞬間、マウンドで喜ぶ選手たちを見つめながらほほえんでいました。「このチームに関して苦労はないですね。本当によく自分たちで考えてくれている。助けられています」と山下監督はコメントしました。
星稜を強豪に育て上げ、かつて巨人やヤンキースなどで活躍した松井秀喜の恩師としても知られる山下智茂元監督(78)の長男である山下智将監督は、長らく部長などの要職を務め、今年4月から正式に監督に就任しました。
昨夏は代行監督として、そして今夏は正監督として石川県を代表しましたが、甲子園での2年連続の初戦敗退には不満を抱いていました。「正直、甲子園に出ただけで満足感があったような気がしていた。甘いというか。このままでは全国では勝てないと思った」と、現主将の芦硲晃太外野手(2年)の言葉に触発され、監督交代が行われました。
芦硲は甲子園での敗戦の夜にホテルの監督室をノックし、「自分が引っ張りたいです。やらされる野球ではなく、自分たちで考える野球をやりたいです」と志願。監督もこれを受け入れ、選手たちの声が練習メニューやチーム方針に反映されるようになりました。神宮大会では、さらに試合前のミーティングを選手だけで実施し、選手同士の意見交換が盛んに行われました。
大会中は宿舎ホテルでのビデオ研究や話し合いが日常的で、「選手がどんどんやっているなあと思っていました」と、山下監督は振り返ります。彼は選手たちが導いた方向性を基に戦術を練り、決勝点が入った8回には巧妙なバスターエンドランを指示。このとき、芦硲が見事な一塁強襲打を決めました。
山下監督は「彼らなりに対策ができていた。後半の方は、私が追加で何か言うこともなかった。どんどんかみ合ってきたところがよかったですね」と、選手たちの成長に期待を寄せています。
神宮大会と夏の甲子園での準優勝チームは5学年前。ヤクルト奥川恭伸、内山壮真、巨人山瀬慎之助を擁し、屈指の強さを誇っていました。当時、部長だった山下監督は「似ているかもしれません。あのチームも自分たちで考えることができた」と述べ