ファールを戦術とみなすべきか?:フェアプレーの定義の重要性
「ファールが過多」という非難が、町田ゼルビアの躍進の背後でしばしば聞かれます。しかし、シーズン終了時の具体的なデータがなければ、「ファールが多い」と断言することは難しいです。
それでも、ある試合で「ファールが過ぎる」との批判が存在する事実はあります。
そのような試合では、「それは野蛮だ」「そんなのはサッカーじゃない」との意見も出ることがあります。しかし、ファールにはカードという形での厳しいペナルティがあるため、実際にはファールをしてしまったチームに大きなリスクが伴っています。
1. フェアプレーとは?
フェアプレーとは、スポーツにおいて倫理的な行為を指します。スポーツマンシップの精神を持ち、礼儀を尊重し、ルールを遵守することが求められています。ルールこそがスポーツを支えています。したがって…
「スポーツ」(サッカー)をスポーツたらしめるためには、ルールを守ることがフェアプレーだと思っています。
しかし、理想と現実の間には、しばしば大きな差異が存在します。
言葉による侮辱や不満もフェアプレー違反の一種だと思います。それらをなくすことこそが妥当だと考えています。
特にユースの試合ではしばしば見られますね。
「潰せ!!」
「おい!!それファールだろ!!」(指導者や保護者から)
「審判、見てないのか!!」(指導者や保護者から)
フェアプレー精神を本当に理解し、それを実行することは難しいです。
これはプレイヤーだけでなく、指導者や保護者も従わなければならないことです。
「言葉のファール」という造語もありますが、これもフェアプレーの概念に反すると私は思います。
この記事では、くどいかもしれませんが
フェアプレー=「スポーツ」(サッカー)をその真髄としてルールを遵守すること
として明確にしたいと思います。
2. ジュニアサッカーの指導において
ジュニアサッカーの試合では、「ファールしたらすぐに謝るように」と指導する声がよく聞かれます。正直、このアプローチには私自身が非常に引っかかっています。
これは一時的な解決策に過ぎず、フェアプレーの本質的な教育とは異なっています。謝ること自体は重要ですが、それでルール違反が許されるわけではないのです。
「謝ればいい」という指導の下では、「真のフェアプレー」は学ばれない可能性が高いと考えています。
子どもたちには、ルールの重要性とその背後にある精神を理解させることが重要です。
そして、指導者自身が「フェアプレーとは何か?」を自分の言葉で定義し、それを伝えることの大切さを私は感じています。
3. ファールとしての戦略性
勝利を目指す上で、ファールが戦術として利用されることがあります。
最近議論を呼んだ元日本代表の内田篤人のコメントは、多くの反響を呼びました。「ゲームをコントロールするためには、ファールを選択肢とする必要がある」という、プロフェッショナルの視点は注目に値します。
(内田篤人の発言の背景→日本VSサウジアラビア:カタールW杯最終予選)
〇ファール=ルールによってペナルティが与えられるアクション
〇相手選手を潰してしまうこと(怪我をさせる行為)=キャリアに影響を与えかねない危険な行動
これらをきちんと区分し、理解することが大切です。
(個人的にも実際にピッチに立つと、その熱量で倫理感が薄れがちな状態になることも認めます(笑))
相手の効果的なカウンターを抑えるための「戦術的ファール」は、時にゲームの流れを割るために行われます。これは予め罰則(イエローまたはレッドカード)を覚悟の上で、チームのためにとっての必要な犠牲行為かもしれません。
それでも、このような戦術がスポーツマンシップに則っているかは、議論の余地があるでしょう。
4. 総括
結局のところ、私たち指導者や選手が追い求める目標は、「観客に感動を与え、刺激的なプレーを提供すること」に他なりません。
ファールは場合によっては戦略上の選択になりえますが、頻発しすぎるとその本質が失われ、「スポーツ」としての魅力を損なう恐れがあります。
指導者としては、「本当のフェアプレー」とは何か、そして必要なファールとは何かを明確にし、それを言語化する努力が求められています。
この記事がファールという要素の多面性と、スポーツ、特にサッカーにおけるフェアプレーの理解を深めるきっかけになれば、喜ばしい限りです。