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 2024/01/09 15:27

サッカー界の伝説である"皇帝"フランツ・ベッケンバウアー氏78歳で死去

ベッケンバウアー氏は7日に亡くなり、そのことはベッケンバウアー氏の家族がドイツ通信社DPAによって明らかにされました。


家族は声明で、「深い悲しみとともに、夫であり、父であるフランツ・ベッケンバウアーが昨日の日曜日(7日)、家族に見守られながら安らかに息を引き取ったことを発表します。静かに別れの時間を過ごすことをお許し頂き、いかなる取材も遠慮して頂くことをお願い致します」と述べました。


"皇帝"の愛称で知られるベッケンバウアー氏は、現役時代にはリベロとして活躍し、西ドイツ代表で1972年のユーロと1974年のワールドカップ(W杯)を制覇しました。また、バイエルンではブンデスリーガを4度、チャンピオンズカップ(今のチャンピオンズリーグ)を3度制覇し、バロンドールにも2度輝くなど、サッカー界に多大な功績を残しました。



ベッケンバウアー氏とは


ベッケンバウアー氏、1974年に当時の西ドイツ代表のキャプテンとして、地元開催のサッカーワールドカップに出場し、冷静で華麗なプレーでチームを優勝に導き、その流れを支配しました。その後、1990年のワールドカップイタリア大会では監督として西ドイツ代表を率いて再び優勝を果たしました。

ベッケンバウアー氏は、2006年のサッカーワールドカップのドイツへの招致活動で先頭に立ち、その後、ドイツサッカー連盟によれば、7日に78歳で亡くなりました。



ベッケンバウアー氏の死に対しては、国内外から多くの悼む声が上がっています。ドイツのショルツ首相はSNSで「ドイツにとって最も偉大な選手であり、多くの人にとっての『皇帝』だった」と述べ、UEFA=ヨーロッパサッカー連盟も「ヨーロッパで最も偉大な選手の1人が亡くなった。『皇帝』は並外れた選手で、監督としても成功した」とSNSに投稿しました。




フランツ・ベッケンバウアー氏は、1960年代から1980年代にかけて活躍した西ドイツの名選手で、ディフェンダーとしてだけでなく攻撃でも活躍し、優雅なスタイルと冷静な統率力から"皇帝"と呼ばれました。地元クラブのバイエルンミュンヘンでプロ契約を結び、1966年には20歳で西ドイツ代表としてワールドカップに出場し、チームの準優勝に貢献しました。彼は1974年にキャプテンとして西ドイツを2回目のワールドカップ優勝に導くなど、数々の栄光を築き上げました。現役引退後は指導者としても成功し、バイエルンミュンヘンの会長としてもクラブの経営に携わり、サッカー界多方面で活躍しました。


"夢と希望を与えてくれてありがとう" 本田圭佑が他界した"皇帝"フランツ・ベッケンバウアー氏を悼む



本田圭佑は追悼する

本田圭佑は、8日に他界したドイツ代表DFのフランツ・ベッケンバウアー氏を追悼しました。




本田は自身のX(旧ツイッター)で発言し、ベッケンバウアー氏を「幼少期に知った存在であり、希望をもらった」と述べました。

「私が子供の頃に父があなたのビデオを見せてくれて以来、選手と監督としてワールドカップで2度優勝したことを、この歳になっても覚えています」

「私に夢と希望を与えてくれてありがとう。R.I.P. フランツ」